法に依れ!

私は学生時代仏教系の学校に通っていたのですが、その時の一般教養の授業で結構熱血な和尚さんがいらっしゃいました。寝ていたりすると怒られたり、遅れて入ってくるとまた怒られて、礼儀というかマナーにとても口うるさい(といっては失礼ですが)方でした。

 その人の授業は、お坊さんからみた一般の人たちのことや、ブッダが説いた言葉なんかを交えて進行していったのですが、その時に教えられた言葉が今でも記憶に残っています。

 人に依らず、法に依れとのブッダの言葉でした、私たちはどうしても人に依存してしまうものですが、人に依存すれば裏切られるかもしれないし、また自分が裏切ることになるかもしれない、要するに簡単にいうと必ず悪循環に陥ることになるから、人に依るのではなく法に依れと説いたのだと思うのですが、大切なことはその法が一体なんなのかを私は知らないことです。もちろんそれが仏教という教えになって今も伝えられているのですが、私は敬虔な仏教徒ではありませんのでその法が一体どういうものかは詳しくは知りません。

似合う色と、似合う服

自分に似合う色って自分で自覚がありますか。たまに他人にこの色に合うねなんて言われることがありますが、自分ではそんなに自覚がないんですよね。私はピンクと薄い緑の組み合わせが大好きなんですが、この組み合わせの色は、癒し効果が強いのだそうです。

薄いピンクも優しさを表す色だったりするのですが、特に薄い緑は疲れた人が良く選ぶような、癒し効果抜群の色なんだそうです。そんな私は、ピンクが似合うなんてたまに言われたりします。

似合う服も、似合う色も本人の自覚がないところが多いそうで、すごくハッキリした色の服が好きなのに、他人にはボヤっとした色合いの服を着ていると似合うと言われるなんて話も聞いたことがあります。その人を引き立たせるものは自分ではわかりにくいんですね。

最近では、男性向けでファッションを個人指導でアドバイスするプロの方も登場していますね。男性は洋服に無頓着な人も女性より多いようですが、洋服の印象で周りの反応は全然違うそうですよ。私もたまには、友人にアドバイスしてもらわなきゃなって思いました。

道路が通行止めになった

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先日、大雨が降った時、自宅の前の道路が冠水して、自宅から動くことができなくなりました。歩いてなら行くことができるのですが、車で行くことに慣れているので、歩くということがこわいと思ってしまうことがあります。

特にそのような大雨で、大変なときは一人で歩くことは、危険と思っています。

そのことから、自宅から出ることができなくなりました。

前の道路は冠水のために、通行止めとなり、その様子を見ていると閑散とした風景の中、取り残されたような気持ちになったのです。

そのことを思うと、道が流されたり、壊れたりして移動することができなくなった、孤立した住宅の人たちは、本当に辛い思いをしただろうと想像することができます。

私の場合は、無理をすれば、色々なところに移動することができます。しかし、そのようにいつも利用している道路が流されてしまった場合は、移動することができなくなるので、自宅にいることしかできないのです。

その不安は、たまらないものであると思ったことでした。

体力減退の自覚

私は最近、体力がめっきり減退してきたと思っています。それを感じたのは、夜遅くまで起きていることができなくなったのです。

以前の場合は、仕事から帰ってきた時に、ジョギングをしたり、その他のスポーツをすることもあったのですが、最近ではめっきり、そんな気持ちになることはありません。

しかも、読書をすることもできずに寝たいという気持ちもほうが勝っているので、そのことをとても不思議に感じています。

その変化として、一つは職場が変わったということにあります。

それは以前に働いていた職場よりも、体をつかうこともなく、からだは楽と感じることができるのですが、パソコンを操作する仕事となったことから、多分にその疲れがきていると思っています。

そう思うと私としては、体を動かしているほうが、体調が良かったと思うことができています。

今の職場の仕事になれれば、また違ってくるかもしれませんが、体力の減退を感じるようになっているところです。

ヘルプ~心がつなぐストーリー

『ヘルプ~心がつなぐストーリー』を鑑賞。1960年代といえば、公民権運動が大きなうねりとなってアメリカを覆っていた頃。

というと、どうしてもマーティン・ルーサー・キング・ジュニアやマルコムXを想像し、しかも彼らの白黒の記録フィルムを思い出して暗くなってしまいがちである。

しかし、この映画には、表面上はそういう暗さは無い。出演者が殆ど女性で、カラフルな色彩を意識したかのような画面で、その上肌の色も白と黒でコントラストされている。

この作品でアカデミー助演女優賞を受賞したオクタヴィア・スペンサーは、その風貌のせいか重いテーマであるにも拘らず、どこかおかしみも併せ持っていて、それも観ていても暗くならない原因でもあるだろう。

反対に、ヴィオラ・デイヴィスは終始深刻な表情で、この2人のコントラストは観ていても楽しい。

白人婦人の集まりも、かつて豊かなアメリカの象徴として我々にもインプットされている、そのままのイメージで、どこか懐かしくも感じられる。

しかし、婦人連合も一枚岩ではない。

リーダー格のヒリー(ブライス・ダラス・ハワード)は人種差別主義者であるのは当然として、その上自分の恋人を奪ったという理由で同じ仲間のシーリア(ジェシカ・チャステイン)を仲間はずれにする。

このあたり、女のドロドロした怨念が見えて恐ろしい。

それにしても、と思う。

多くの人達が思うことだろうが、育児を黒人に任せておきながら、その黒人を蔑視の対象として見るという精神構造はどんなものなんだろう。スキーターの(映画の中での)考え方は、今から見ると全うなものだが、その精神構造の矛盾と醜悪さは、当時としては当たり前に混在していたんだろう。

それと、ヒリーの底意地の悪さには脱帽。

ブライス・ダラス・ハワードには期待してるんだけど、あまりパッとした活躍が見られていないのが哀しい。

そのヒリーに虐められるシーリアをやったジェシカ・チャステインも、ちょっとおつむの弱そうな感じも出していて、オスカー候補になったことも頷ける。

深刻な題材ではあるんだけど、主要キャストのアンサンブルで、楽しく観ることのできた作品だった。

人生はビギナーズという映画を見て

『人生はビギナーズ』は38歳にもなった男が、恋や人生に悩む物語。

日本でも成人式は30歳のときにすべきだなんて議論が一部にあるが、これは全世界共通のことかもしれない。自分を振り返ってみると、20代なんて大学は卒業して職には就いていたけれども、学生気分が全然抜けていなかったような気がする。今になっても、まだどこかフワフワしてるような気がするのも事実。

これは監督と脚本のマイク・ミルズの実話から生まれた物語だそうだ。

75歳になる父親から、突然「私はゲイだ」と告白されたらどうしよう。それまでの父親と母親との生活は何だったんだろうと思ってしまうよね。母親は騙されていたんじゃないかと軽蔑もするだろうし、それ以上に、日本であれば同性愛者への理解は欧米程には進んでいないから、世間体なんてものも考えてしまう。

クリストファー・プラマーがこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞したが、演技としては『ドラゴン・タトゥーの女』の方が良かったと思うな。

物語は、オリヴァーが部屋の片付けをしているところから始まる。

つまりハルが亡くなって以降が現在であって、ハルはオリヴァーの回想という形で出てくることになる。

メラニー・ロランは相変わらず美しい。この映画ではバストトップまでは見せなかったけど、小ぶりの形のいいおっぱいは見せてくれている。過剰過ぎないサービスでいい。

ちょっと面白かったのは、アナが「役者の裏側なんてどうでもいいことよ」と言ったこと。

これって、役者としての自分たちへの自己弁護なのかな。つまり、物語とは関係無いところで、私生活のことは放っておいてと主張している訳だ。

それと忘れちゃならないのが、犬のアーサー。ジャックラッセル・テリアである彼は、『アーティスト』で芸達者なところを見せたアギーとはライバル同士だそうである(本人たちにはそんな意識は無いだろうが)。

彼の仕草や、言葉はわかるが話せないと言う彼がオリヴァーに語りかけるセリフが、物語にアクセントを与えており味わい深いものにしている。

父はゲイであることを隠して母と結婚したと思い込んでいたが、後になって母も承知で結婚したことを父の言葉から知る。ゲイであることを承知しながら、「治してあげる」とプロポーズしてきたのは母の方。

しかし、回想の中で父とのキスの後、いつも淋しそうな表情だったのは、彼に治る気配が無いことを感じ取っていたからだろう。

『新少林寺』という映画を見て

新少林寺』という映画を見て、映画で少林寺と言うと、どうしてもジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)のあの、“ハッ、ハッ、ハッハッ!”の映画を思い出してしまうが、今回の主演はアンディ・ラウ。この人にカンフーアクションというイメージは無いが、だからこそ頑張っているように見える。

つまりは、それまで悪行三昧を尽くしてきた人間が、権力争いに敗れ、追われる身となって逃げ込んだ寺で改心して、自分を裏切ったかつての部下も目覚めさせようとする物語。 人間再生の物語でもある。

いくら計略を以て地位を追われ、妻子までもが死の危険に晒されたとはいえ、それが直に少林寺に向かい、改心に繋がるというのがあまりにも安易である。

再起を期すか、そのまま落ちぶれていくのが通常のパターンであり、そういう径路を通った方が真実味も増すと思うのだが、ここではストレートに本文へ向かっている。時間的制約もあったのかもしれないが、こういうところを克服しないと後に残る作品にはならないのだろうと感じました。

アンディもそれなりにアクションは見せてはいるが、ここではやはり“特別出演”の枠で出ているジャッキー・チェンだろう。

武道は全然出来ないという設定ながら、彼お得意の身の回りにある道具を使ったアクションはここでは健在。この作品で唯一の笑いの場面を提供している。

最後は候杰が隠れている少林寺を襲った曹蛮の軍隊に対し、鉄道建設を認可されなかったイギリス軍がその軍隊を攻撃する。そのとき候杰は身体を張って曹蛮を守ろうとし死んでいくのです。

そこで曹蛮はようやく目覚めるのだが、それってあまりにも都合良過ぎないか?と思ってしまうのである。

その後、少林寺の残った精鋭が、イギリス軍を襲うのにはちょっとだけ溜飲が下がったが。

別の見方をすれば、一人の人間を改心させるのに、如何に多くの犠牲が必要なのか。それだけ人間は愚かだということを描いているとも言える。

安心して観られるラブストーリー。

『幸せの教室』を見た。実は、トム・ハンクス監督作品を観るのはこれが初めて。

結論を先に言えば、如何にも彼らしいヒューマニックな映画だった。

まあ色々とケチをつけようと思えば、そういうところはふんだんにあるよ。

一番は、「破産しそうだ」と言っているにも拘わらず、大学に入学してしまうこと。それまで乗っていたRVから、ガソリンの消費が少なくて済むスクーターに乗り換えるという描写もあったが、それ以上に生活の糧をどうするかってことがなおざりにされている。

随分経ってから、元同僚の経営するレストランにバイトで入ることにはなるが。

ただラリーが立ち直るだけではなく、先生のメルセデスまでもが立ち直るというプロットは、それ程新しい手法ではない。が、そこには、トム・ハンクスの暖かい目が注がれている。

それが恋物語にまで発展するのはどうかと思うが。

ポスターと予告篇を観て、そういうちゃちい展開にはして欲しくなかったと思ったものだが、それではハリウッドの観客は納得してくれないのかな?

ああ、冒頭のELOの「ホールド・オン・タイト」とか(エンディングもELO)、トム・ペティとかかかっていたけど、これはトムの好みなんだろうな。年代的にも合うような気がするし。言ってしまえば、ラリーとメルセデスの再生物語で、そこに二人の恋物語が絡んでくるというもの。無難と言えば無難な出来上がり。

しかし、メルセデスに追い出される夫をやったブライアン・クランストンって、昨日の感想に書いた『ドライヴ』のドライバーの雇い主もやっていたんだよね。連続で観たせいもあるけど、雰囲気が全然違っていて面白かった。あと、メルセデスの同僚を演じていたパム・グリアは、我々の世代だと『ジャッキー・ブラウン』の印象が強烈だけれど、ここでは全く違ったものだった。第一、あの頃に較べても格段に太っている。

メルセデスの名字がテイノーってのも、日本人には笑えたよな。

そのテイノー先生の薬指から、いつの間にリングが消えていたのか気づかなかった。

ラリーの同級生のタリア(ググ・バサ=ロー)の彼氏(ウィルマー・バルデラマ)が最後の方まで誤解するというのは定石だろうが、彼との絡みが少なかったのは、これもやはりトムの嗜好によるものだろうという気がする。

麒麟の翼~劇場版・新参者

『麒麟の翼~劇場版・新参者』のテーマは父と子の絆だそうである。

言われる通り、二組の親子が描かれる。

被害者の青柳武明とその息子・悠人(松坂桃李)、そして加賀恭一郎とその父(山崎努)である。

しかし、これは詰め込み過ぎだろう。

謎を解き明かすという命題の前では、加賀父子のエピソードはともすれば邪魔なものになってしまう。

それよりも、青柳の会社で起こった派遣切りに関する問題は、現代的な問題にも通じるので、もっと深く掘り下げて欲しかったと思う。原作ではどうだったんだろう?

原作があるにしても、映画化するときは削除するエピソードがあったり、膨らませるエピソードがあるのはわかるが、これは製作者の姿勢にもよるだろう。

ただ、謎解きを大きなテーマに掲げていると、そこまで突っ込むだけの時間が無いのもわかる。

そうなると、肝心の謎解きや、そのバックボーンが薄まってしまうのが残念だった。

その謎解きにしても、真犯人は突然現れたような感じで、それはサスペンスとしては邪道だろうと思ってしまうのだ。

それまで関係の無かったような悠人の同級生が犯人なんて、それまで観ながら推理していた観客にとっては裏切り行為だと言わざるを得ない(本当に推理してたのか?)

ただ、物語としては面白かった。

興味を他に逸らせることなく、ラストまで持って行ったのだから。

突っ込む所は、やはりあったよ。

金が無いと言いながら、悠人の髪はずっと金髪だったし、明日までに家賃を払わないと追い出されるとかいいながらずっと居座ってたり。

原作ではそれなりに描かれているのだとは思うが、削る個所や削り方がずれているから、大きなところで齟齬が生じてしまっている。

一番引っ掛かるのは、前にも書いたが、労災隠しの責任を青柳一人に被せた件。ここは、現代的にはもっと突っ込むべきところだったと思う。

そういう社会性を、上手く取り入れられていたらと思うと残念な気がする。それができる題材だっただけにね。

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善き人という映画を見て

観る前は、出演しているのはヴィゴ・モーテンセンぐらいしかわからなかったが、ナチスドイツの話ということで、ドイツ語が主体で、彼の役どころは英語圏からドイツに来て研究している大学教授ぐらいにしか思わなかった。

しかし冒頭で「Berlin,April」と出た時点で、ああ英語劇なんだと諦めた。よく見りゃ、脇を固めている俳優もアメリカやイギリスの人達ばかりじゃないか。原題も“GOOD”とまるっきり英語だし。

こういうのって、古代ローマとか古代エジプトとかが舞台なら、昔から観てきているせいもあってそんなに違和感は無いのだが、映画も簡単に海外へ輸出できるようになった現代で、しかも現代劇で英語というだけで雰囲気が壊れてしまう。

ただ、ヴィゴ・モーテンセンの演技は素晴らしい。

自分が書いた安楽死をテーマにした小説がヒトラーに気に入られ、ナチスに入党するよう勧誘を受ける。しかしこの時点での勧誘とは、実質強制であることは観ている方はわかる。

彼には妻(アナスタシア・ヒル)がいるが、精神を患っていて一日中ピアノを弾いている状態。また母(ジェマ・ジョーンズ)の介護もせねばならず、家事全般も彼が担っている。そしてその彼にも、ときどき同じメロディの幻聴が聴こえてくる。

この幻聴が、ラストへの伏線になっているのだが。

保身の為ではあるが、流されるままにナチスに入党し、また流されるままに教え子のアン(ジョディ・ウィッテカー)と暮らし始め、妻と母を遠ざけることになる。

彼の苦悩は、第一次大戦での戦友でユダヤ人のモーリス(ジェイソン・アイザックス)との関係に集約されている。

モーリスはナチス入りしたジョンを軽蔑するが、しかし危機が迫る自分を助けることを頼めるのもジョンしかいなかった。

ジョンにも良心の呵責があり、何とか助けようと自身も危ない橋を渡りながらも協力しようとする。一度目の失敗の後、二度目のとき、ようやくの思いで購入したチケットをアンに託して出勤するジョンだったが、モーリスは約束の場所に現れなかった。

その真相は数年後にわかる。アンがゲシュタポに通報していたのだ。アンにしてみたら、当時のドイツ人にとっての“善行”だったのかもしれない。

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