トイレの中に花

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私は薔薇の花が好きです。学校にお花を持って行かされて私自身は荷物になるし、日直さんから良い顔はされないし、で、あまり嬉しくはなかったのですが、クラスメイトの中にはお花が好きな子もいて、先生も喜んでくれて、それだけは救いに感じたものです。

大人になって、花があると言うのは心がなごむものだなと感じ始めています。一人暮らしの寂しさを緘似る時、、一人静かに物思いにふける私のそばに、花があるだけで、なんとなく気がまぎれると思うのです。一人の世界といえば、ここは外せません。お手洗いです。

トイレの中には、昔からお花がありました。トイレ掃除をするのに、枯れた花まで整理する手間を省くために、現在、プリザーブドフラワーがはいっています。しかも、デパートの体験コーナーで作らせてもらったもので、焼き物の中にセッティングされた私の出来の悪いアレンジフラワーです。親に、あなたはお花を生けるセンスはないね、などと言われつつ、不細工な花は、10年はもてると誇らしげに咲いています。

秘密のパワスポ

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昨日はとくに予定もない休日でしたので、ふと思い付きで最近行っていなかった自分自身のパワースポットへ行こうと思い立っていくことになりました。そこはバイクでまあ30分くらいのところに位置しているので、遠くもなければ近くもないといった具合の場所で、近所では有数の観光地となっていますので、あまり用のない時に何も考えずに車で突入してしまうと大変なことになるくらい混雑しているところです。

そこはとある島なのですが、神社があって奥ノ院がありその先が岩場になっています、私の秘密基地はその奥ノ院から岩場へ行く道を脇へそれてまるで山でいうバリエーションルートのようなコースを辿っていくとあまり人のいない岩場にでることができる場所です。

とはいえ誰もいないことはまずなく、大抵魚釣りを静かに楽しんでいるおっさんたちがいるのでふらふらと遊びに来た私などはいつも迷惑者といった感じです。ですので距離を置いていい感じのところを見つけ、そこから大好きな富士山と丹沢を眺めるのが唯一の慰めです。

法に依れ!

私は学生時代仏教系の学校に通っていたのですが、その時の一般教養の授業で結構熱血な和尚さんがいらっしゃいました。寝ていたりすると怒られたり、遅れて入ってくるとまた怒られて、礼儀というかマナーにとても口うるさい(といっては失礼ですが)方でした。

 その人の授業は、お坊さんからみた一般の人たちのことや、ブッダが説いた言葉なんかを交えて進行していったのですが、その時に教えられた言葉が今でも記憶に残っています。

 人に依らず、法に依れとのブッダの言葉でした、私たちはどうしても人に依存してしまうものですが、人に依存すれば裏切られるかもしれないし、また自分が裏切ることになるかもしれない、要するに簡単にいうと必ず悪循環に陥ることになるから、人に依るのではなく法に依れと説いたのだと思うのですが、大切なことはその法が一体なんなのかを私は知らないことです。もちろんそれが仏教という教えになって今も伝えられているのですが、私は敬虔な仏教徒ではありませんのでその法が一体どういうものかは詳しくは知りません。

似合う色と、似合う服

自分に似合う色って自分で自覚がありますか。たまに他人にこの色に合うねなんて言われることがありますが、自分ではそんなに自覚がないんですよね。私はピンクと薄い緑の組み合わせが大好きなんですが、この組み合わせの色は、癒し効果が強いのだそうです。

薄いピンクも優しさを表す色だったりするのですが、特に薄い緑は疲れた人が良く選ぶような、癒し効果抜群の色なんだそうです。そんな私は、ピンクが似合うなんてたまに言われたりします。

似合う服も、似合う色も本人の自覚がないところが多いそうで、すごくハッキリした色の服が好きなのに、他人にはボヤっとした色合いの服を着ていると似合うと言われるなんて話も聞いたことがあります。その人を引き立たせるものは自分ではわかりにくいんですね。

最近では、男性向けでファッションを個人指導でアドバイスするプロの方も登場していますね。男性は洋服に無頓着な人も女性より多いようですが、洋服の印象で周りの反応は全然違うそうですよ。私もたまには、友人にアドバイスしてもらわなきゃなって思いました。

道路が通行止めになった

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先日、大雨が降った時、自宅の前の道路が冠水して、自宅から動くことができなくなりました。歩いてなら行くことができるのですが、車で行くことに慣れているので、歩くということがこわいと思ってしまうことがあります。

特にそのような大雨で、大変なときは一人で歩くことは、危険と思っています。

そのことから、自宅から出ることができなくなりました。

前の道路は冠水のために、通行止めとなり、その様子を見ていると閑散とした風景の中、取り残されたような気持ちになったのです。

そのことを思うと、道が流されたり、壊れたりして移動することができなくなった、孤立した住宅の人たちは、本当に辛い思いをしただろうと想像することができます。

私の場合は、無理をすれば、色々なところに移動することができます。しかし、そのようにいつも利用している道路が流されてしまった場合は、移動することができなくなるので、自宅にいることしかできないのです。

その不安は、たまらないものであると思ったことでした。

体力減退の自覚

私は最近、体力がめっきり減退してきたと思っています。それを感じたのは、夜遅くまで起きていることができなくなったのです。

以前の場合は、仕事から帰ってきた時に、ジョギングをしたり、その他のスポーツをすることもあったのですが、最近ではめっきり、そんな気持ちになることはありません。

しかも、読書をすることもできずに寝たいという気持ちもほうが勝っているので、そのことをとても不思議に感じています。

その変化として、一つは職場が変わったということにあります。

それは以前に働いていた職場よりも、体をつかうこともなく、からだは楽と感じることができるのですが、パソコンを操作する仕事となったことから、多分にその疲れがきていると思っています。

そう思うと私としては、体を動かしているほうが、体調が良かったと思うことができています。

今の職場の仕事になれれば、また違ってくるかもしれませんが、体力の減退を感じるようになっているところです。

ヘルプ~心がつなぐストーリー

『ヘルプ~心がつなぐストーリー』を鑑賞。1960年代といえば、公民権運動が大きなうねりとなってアメリカを覆っていた頃。

というと、どうしてもマーティン・ルーサー・キング・ジュニアやマルコムXを想像し、しかも彼らの白黒の記録フィルムを思い出して暗くなってしまいがちである。

しかし、この映画には、表面上はそういう暗さは無い。出演者が殆ど女性で、カラフルな色彩を意識したかのような画面で、その上肌の色も白と黒でコントラストされている。

この作品でアカデミー助演女優賞を受賞したオクタヴィア・スペンサーは、その風貌のせいか重いテーマであるにも拘らず、どこかおかしみも併せ持っていて、それも観ていても暗くならない原因でもあるだろう。

反対に、ヴィオラ・デイヴィスは終始深刻な表情で、この2人のコントラストは観ていても楽しい。

白人婦人の集まりも、かつて豊かなアメリカの象徴として我々にもインプットされている、そのままのイメージで、どこか懐かしくも感じられる。

しかし、婦人連合も一枚岩ではない。

リーダー格のヒリー(ブライス・ダラス・ハワード)は人種差別主義者であるのは当然として、その上自分の恋人を奪ったという理由で同じ仲間のシーリア(ジェシカ・チャステイン)を仲間はずれにする。

このあたり、女のドロドロした怨念が見えて恐ろしい。

それにしても、と思う。

多くの人達が思うことだろうが、育児を黒人に任せておきながら、その黒人を蔑視の対象として見るという精神構造はどんなものなんだろう。スキーターの(映画の中での)考え方は、今から見ると全うなものだが、その精神構造の矛盾と醜悪さは、当時としては当たり前に混在していたんだろう。

それと、ヒリーの底意地の悪さには脱帽。

ブライス・ダラス・ハワードには期待してるんだけど、あまりパッとした活躍が見られていないのが哀しい。

そのヒリーに虐められるシーリアをやったジェシカ・チャステインも、ちょっとおつむの弱そうな感じも出していて、オスカー候補になったことも頷ける。

深刻な題材ではあるんだけど、主要キャストのアンサンブルで、楽しく観ることのできた作品だった。

人生はビギナーズという映画を見て

『人生はビギナーズ』は38歳にもなった男が、恋や人生に悩む物語。

日本でも成人式は30歳のときにすべきだなんて議論が一部にあるが、これは全世界共通のことかもしれない。自分を振り返ってみると、20代なんて大学は卒業して職には就いていたけれども、学生気分が全然抜けていなかったような気がする。今になっても、まだどこかフワフワしてるような気がするのも事実。

これは監督と脚本のマイク・ミルズの実話から生まれた物語だそうだ。

75歳になる父親から、突然「私はゲイだ」と告白されたらどうしよう。それまでの父親と母親との生活は何だったんだろうと思ってしまうよね。母親は騙されていたんじゃないかと軽蔑もするだろうし、それ以上に、日本であれば同性愛者への理解は欧米程には進んでいないから、世間体なんてものも考えてしまう。

クリストファー・プラマーがこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞したが、演技としては『ドラゴン・タトゥーの女』の方が良かったと思うな。

物語は、オリヴァーが部屋の片付けをしているところから始まる。

つまりハルが亡くなって以降が現在であって、ハルはオリヴァーの回想という形で出てくることになる。

メラニー・ロランは相変わらず美しい。この映画ではバストトップまでは見せなかったけど、小ぶりの形のいいおっぱいは見せてくれている。過剰過ぎないサービスでいい。

ちょっと面白かったのは、アナが「役者の裏側なんてどうでもいいことよ」と言ったこと。

これって、役者としての自分たちへの自己弁護なのかな。つまり、物語とは関係無いところで、私生活のことは放っておいてと主張している訳だ。

それと忘れちゃならないのが、犬のアーサー。ジャックラッセル・テリアである彼は、『アーティスト』で芸達者なところを見せたアギーとはライバル同士だそうである(本人たちにはそんな意識は無いだろうが)。

彼の仕草や、言葉はわかるが話せないと言う彼がオリヴァーに語りかけるセリフが、物語にアクセントを与えており味わい深いものにしている。

父はゲイであることを隠して母と結婚したと思い込んでいたが、後になって母も承知で結婚したことを父の言葉から知る。ゲイであることを承知しながら、「治してあげる」とプロポーズしてきたのは母の方。

しかし、回想の中で父とのキスの後、いつも淋しそうな表情だったのは、彼に治る気配が無いことを感じ取っていたからだろう。

『新少林寺』という映画を見て

新少林寺』という映画を見て、映画で少林寺と言うと、どうしてもジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)のあの、“ハッ、ハッ、ハッハッ!”の映画を思い出してしまうが、今回の主演はアンディ・ラウ。この人にカンフーアクションというイメージは無いが、だからこそ頑張っているように見える。

つまりは、それまで悪行三昧を尽くしてきた人間が、権力争いに敗れ、追われる身となって逃げ込んだ寺で改心して、自分を裏切ったかつての部下も目覚めさせようとする物語。 人間再生の物語でもある。

いくら計略を以て地位を追われ、妻子までもが死の危険に晒されたとはいえ、それが直に少林寺に向かい、改心に繋がるというのがあまりにも安易である。

再起を期すか、そのまま落ちぶれていくのが通常のパターンであり、そういう径路を通った方が真実味も増すと思うのだが、ここではストレートに本文へ向かっている。時間的制約もあったのかもしれないが、こういうところを克服しないと後に残る作品にはならないのだろうと感じました。

アンディもそれなりにアクションは見せてはいるが、ここではやはり“特別出演”の枠で出ているジャッキー・チェンだろう。

武道は全然出来ないという設定ながら、彼お得意の身の回りにある道具を使ったアクションはここでは健在。この作品で唯一の笑いの場面を提供している。

最後は候杰が隠れている少林寺を襲った曹蛮の軍隊に対し、鉄道建設を認可されなかったイギリス軍がその軍隊を攻撃する。そのとき候杰は身体を張って曹蛮を守ろうとし死んでいくのです。

そこで曹蛮はようやく目覚めるのだが、それってあまりにも都合良過ぎないか?と思ってしまうのである。

その後、少林寺の残った精鋭が、イギリス軍を襲うのにはちょっとだけ溜飲が下がったが。

別の見方をすれば、一人の人間を改心させるのに、如何に多くの犠牲が必要なのか。それだけ人間は愚かだということを描いているとも言える。

安心して観られるラブストーリー。

『幸せの教室』を見た。実は、トム・ハンクス監督作品を観るのはこれが初めて。

結論を先に言えば、如何にも彼らしいヒューマニックな映画だった。

まあ色々とケチをつけようと思えば、そういうところはふんだんにあるよ。

一番は、「破産しそうだ」と言っているにも拘わらず、大学に入学してしまうこと。それまで乗っていたRVから、ガソリンの消費が少なくて済むスクーターに乗り換えるという描写もあったが、それ以上に生活の糧をどうするかってことがなおざりにされている。

随分経ってから、元同僚の経営するレストランにバイトで入ることにはなるが。

ただラリーが立ち直るだけではなく、先生のメルセデスまでもが立ち直るというプロットは、それ程新しい手法ではない。が、そこには、トム・ハンクスの暖かい目が注がれている。

それが恋物語にまで発展するのはどうかと思うが。

ポスターと予告篇を観て、そういうちゃちい展開にはして欲しくなかったと思ったものだが、それではハリウッドの観客は納得してくれないのかな?

ああ、冒頭のELOの「ホールド・オン・タイト」とか(エンディングもELO)、トム・ペティとかかかっていたけど、これはトムの好みなんだろうな。年代的にも合うような気がするし。言ってしまえば、ラリーとメルセデスの再生物語で、そこに二人の恋物語が絡んでくるというもの。無難と言えば無難な出来上がり。

しかし、メルセデスに追い出される夫をやったブライアン・クランストンって、昨日の感想に書いた『ドライヴ』のドライバーの雇い主もやっていたんだよね。連続で観たせいもあるけど、雰囲気が全然違っていて面白かった。あと、メルセデスの同僚を演じていたパム・グリアは、我々の世代だと『ジャッキー・ブラウン』の印象が強烈だけれど、ここでは全く違ったものだった。第一、あの頃に較べても格段に太っている。

メルセデスの名字がテイノーってのも、日本人には笑えたよな。

そのテイノー先生の薬指から、いつの間にリングが消えていたのか気づかなかった。

ラリーの同級生のタリア(ググ・バサ=ロー)の彼氏(ウィルマー・バルデラマ)が最後の方まで誤解するというのは定石だろうが、彼との絡みが少なかったのは、これもやはりトムの嗜好によるものだろうという気がする。

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